2010年3月9日

【indig/Env】 生物多様性と先住民族(7)(8)

『先住民族の10年News』に連載中の「生物多様性と先住民族」の第7回と第8回の原稿を公開します。
(小生のごにゃごにゃした文章よりも、もっとはるかに読みやすく、面白い記事がたくさんのっているニューズレターですので、ぜひご購読を!)

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生物多様性と先住民族(7)生命特許vs先住権(その1)


 生物多様性とその保全あるいは利用をめぐっては、さまざまな種類の「非対称性」が見られる。<先進国・多国籍企業・金融資本>と<途上国・地域住民・生業経済>という対立軸、すなわち南北問題の構図が非対称性の最たるものであり、生物多様性条約(CBD)もまさに南北問題の緩和にむけての国際社会の妥協策のひとつとして位置づけられる。


 「先住民族」という視点を加えると、非対称性はさらに“入れ子”になる。国際政治や国際交渉の通常の手法で「途上国」の権利や権益を保護強化すると、それが途上国内の少数民族や周辺化された地域集団(とりわけ政治過程から排除された先住民族)にとって二重の搾取・抑圧となって作用しかねないからである。先進国内のマイノリティである先住民族も「途上国でない」という理由で議論の枠外におかれかねない。こと生物多様性をめぐる問題では、途上国/先進国の枠をこえた先住民族どうしの連携・共闘はあまり進んでいないように見える。


■遺伝資源と主権


 地球サミット(1992年、リオ)で国連的思考のなかに大きな位置を占めるようになった「共通だが差異ある責任」という考え方は、身も蓋もなく言い換えるならば「問題に一緒に取り組むけれど途上国よりも先進国のほうが負担は大きいよ」ということであり、地球サミットが産婆をつとめて生まれた双子ともいうべきCBDと気候変動枠組み条約(いわゆる温暖化防止条約)において、はっきりと実体化されたのである。その意味で、後者の第15回締約国会議(COP15、コペンハーゲン)で途上国と先進国の対立ゆえに交渉が頓挫したのは、条約の原点に立ち戻ったと言えなくもない。責任の差異を小さくしようと画策した先進国に対し、途上国側が大きなノーを突きつけた【註1】という側面からすれば、実にまっとうな展開なのだから。


 さて、それではCBDの第10回締約国会議(COP10、名古屋)はどうなるだろうか。CBDでは「遺伝資源」に対する途上国の主権を尊重し、先進国や多国籍企業に開発利益が一方的に流れ込まないような歯止めをかけることが一応の合意となっている。(そこがまさに米国がCBDを批准しない主な理由でもある。)


 同じ国連枠組みの中で見ると、国連食糧農業機関(FAO)では、育種や地域固有種などを念頭において「遺伝資源」が人類の共通財産であること(したがって営利目的で占有すべきでないこと)という考え方に沿ったルール作りや施策を進めている。


 しかし、実際のところ、遺伝資源をめぐる途上国の主権や先住民族の権利に関する攻防の“主戦場”はCBDでもFAOでもない。こう断定してしまうと誤解を受けるかもしれないが、本来CBDこそがそのような土俵であるべきなのに残念ながらそうはなっていない、という意味である。


■バイオパイラシーと新植民地主義


 では関ヶ原はどこかと言えば、それは世界貿易機関(WTO)に他ならない。先住民族の運動体や連合体がWTO交渉の折々に発してきたマニフェストを読み直してみると(たとえば、1999年のシアトル先住民族宣言、2003年の先住民族カンクン宣言など)、WTO体制こそが生物多様性の危機を招いているとの認識は早くから確立している。その具体的な現れが「バイオパイラシー」(生物資源・遺伝資源の営利掠奪行為)であることも、繰り返し指摘されてきた。


 そこから2つの問いを立てることができる。第1は、なぜ自由貿易が生物多様性を脅かすのか。第2は、なぜCBDはそれを食い止める力を発揮しえないのか、である。


 世界各地の局地的な生物資源が貿易商品として投資や投機の対象になったのは、よく考えてみれば、最近のことではない。大航海時代の香料貿易など、まさしく生物多様性ビジネスがグローバルに展開した嚆矢と言うこともできるだろう。バイオパイラシーの歴史的根源が植民地支配にあるとすれば、その危機に立ち向かうためには「バイオコロニアリズム」(生物資源をめぐる植民地主義)の解消・克服が不可欠だということになる。つまり、生物多様性の問題を新植民地主義に対抗する戦略において位置づけることが重要である。


 だが、そうした大局観だけでは上記の2つの問いの答えにならない。現代、とりわけ1980年代以降、貿易と生物多様性保全との対立が先鋭化してきた(と同時に複雑で分かりにくくなってきた)大きな要因は、そこに「知財」(知的所有権・財産権)の問題が絡んできたからである。


■知財としての生命特許


 レーガン政権が着手したプロパテント政策(特許推進戦略)は、知財の対象を拡大し、積極的に特許権の網の目をはりめぐらして、米国の企業利益を保護推進しようとする世界戦略であった。この戦略の一環として、生物資源や遺伝資源に関する技術情報が知財の対象として積極的に取り込まれたため、医薬・食料・農林水産業の分野での利益開拓はまったく新しい様相を帯びることとなった。


 この戦略はパパブッシュとクリントン政権にも継承され、党派をこえた国策として強化されてきた。その国際交渉上の装置がWTOにおける知財協定(TRIPs)である【註2】。TRIPsではいわゆる生命特許(生物資源の利用技術や情報に対する私的財産権)が自由貿易を円滑にするツールとして位置づけられ、その権益保護の基本は個別財産権の保障である。つまり、特許を取得した個人・法人の利益が正当化され、先住民族共同体などによる集団的な所有権・財産権は認めない枠組みである。


 生命資源の営利利用に関する協定は、本来であればCBDの枠組みのなかで策定すべきものであったが、TRIPs協定がWTOの枠組みで先に確立してしまったことは、先住民族にとっては打撃であった。というのも、CBDは先住民族を一応のパートナーとして認めているが、WTOはそうではないからである。CBDを所管する国連環境計画(UNEP)とちがってWTOは強制力を備えた強力な国際機関であり、主権国家といえどもWTO諸協定と調和する国内法を整備することが強いられる。ただでさえ先住民族の集団的権利を認めたがらない国家が多いところへ、さらに不当な圧力が「合法的」に増強されることになる。

 WTOの土俵で勝負すること自体、先住民族にとって圧倒的に不利である。それではCBDで勝負すればよい、とも言えないのが悩ましいところである。


 上述のように筆者はCBDの弱点をその「強制力の欠如」にあると考えてきたのだが、CBDの限界はどうもそれだけではなさそうだ。最近読んだバスティーダ = ムニョスの論文【註3】で指摘されていたのは、CBDが遺伝子/生物種/生態系を別々の次元でとらえ、これらを一体的に取り扱う「文化」の概念が欠けている、という点である。遺伝子/生物種/生態系の保存や保全がCBD交渉においては別々の課題として処理されるが、そのような分断的な思考では先住民族の生命観を組み入れることが困難であろう。

(この項、続く)


【註1】もちろん、経済成長著しい「新興国」が途上国サイドとしての条約上の地位を徹底的に利用したという側面もあるので、ことはそう単純には語れない。ここでは、3大新興国(中国・インド・ブラジル)が先住民族の権利保障という面でいずれも大きな問題をはらんだ国々だ、ということを指摘するに留める。


【註2】知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights)。1994年にGATTウルグアイラウンドの産物として成立。他のWTO諸協定と同じく法的拘束力を持つ。


【註3】出典は次号に掲載。


(以上、『先住民族の10年News』161号に掲載済み)

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(以下、『先住民族の10年News』162号に掲載予定)


生物多様性と先住民族(8)生命特許vs先住権(その2)

(承前)

 バスティーダ = ムニョスは同じ論文【註3】のなかで、興味深い提起をおこなっている。すなわち、生物多様性保全の文脈で先住民族の伝統知識の集団的権利を保障するためには、通常の知的財産権(IPR、以下「知財権」と略記)とは別の「先住民族知財権」(IIPPR)【註4】の概念を確立する必要があるという指摘である。通常の知財権との違いとして、彼は「集団的に保有される権利」であるという点と、国際法で認められる先住民族の権利の一環として位置づけられるという点を強調している。


 この提起がなされてから、すでに7年ほど経つのだが、このような「先住民族知財権」の考え方がその後どのような展開をみたのか、残念ながら筆者は不勉強で把握できていない。すくなくとも、生物多様性条約(CBD)の議論のなかで具体的に展開してはいないようだ【註5】。(ご存じの方、ぜひ教えてほしい。)


 通常の一般的権利とは別種の権利を先住民族を対象として設定するという問題解決法は、すでに先住民族の土地所有と使用について、いくつかの国では実施されている。すなわち、一般的な土地所有権(個人・法人による土地所有)と先住民族土地権(先住民族集団による慣習的領有)とを別個の法的概念・制度として両立させ、両者の調整をはかることで個別の問題に対処していくという方式である。


 もちろん、そういった新たなパラダイムを導入しただけで紛争が魔法のように解決するわけではないのだが【註6】、しかし、全般的にみれば、先住民族固有の権利の制度化が、社会的公正と環境保全にとって大きくプラスに働いたことは確かだと言ってよいだろう。


 それでは、「先住民族知財権」のような新しいパラダイムの導入がはたして同じようにプラスに作用するだろうか。そして、そのような権利保障によって生じるマイナスの側面があるとすれば、どのようなことだろうか。


■先住権としての知的財産


 知財権は、その歴史的出自はさておき、現代世界ではWTOTRIPs協定(前号参照)に典型的に見られるように、自由貿易を円滑に進めるための秩序機制のひとつとなっている。そのような位置づけゆえに、知財権には

(1)利益分配の基礎となること、

(2)私的権利であること、

(3)世界共通のルールを志向すること、

(4)一定期間後は消滅すること、

といった特徴がある。


 これらの特徴は、一般の土地所有権が(1)譲渡・売買が可能であること、(2)一個人や一法人の私的権利たりうること、(3)事実上ヨーロッパの土地所有制度の原則にのっとること、といった性格を備えていることにおおむね対応していると見てよいだろう。(4)については後述する。


 土地所有の場合、私有以外に共有・公有という形態もあるので(2)の部分は正確には対応しないが、私的所有と売買を明確かつ円滑にするという機能は共通している。これに対し、先住権や先住民族土地権(つまり一般的な土地所有権とは別個に保障される先住民族の権利)は、個人的権利ではなく(集団総有)、それゆえ原則として譲渡不可のものとして規定される(伝統的権利は売り渡せない)。


 もし一般的知財権とは別に「先住民族知財権」を設定するとすれば、先住民族土地権の場合と同様、<集団総有・譲渡不可>という条件が重要なポイントとなるだろう。(土地の場合と同様、有償リースは認める余地がある。)


 これと関連して、一般的な知財権の(4)の特徴、つまり有効期限つきの権利(一定期間たつと特許やコピーライトが消滅する)という点は、いわば長期借地権のような設定であり、先住民族の権利保障と根本的な齟齬をきたす。したがって「先住民族知財権」は期限付きのものであってはならないだろう。


 また、知財のなかでも特許権は取得・保持するためのコストがかなり高いが、これは一般的土地所有権が課税を伴う(かつ地価が高ければ税金も多くかかる)のと対応している。知財も土地所有も潜在的に利益を生むものであるとみなされるがゆえに、課税の対象とされる。一方、先住民族土地権は領有権の保障が本来の目的であるから課税はされない(土地を貸して収益があがった場合は別である)。とすれば「先住民族知財権」も保有コストのかかるものであってはならないだろう。


 このように吟味してみると、「先住民族知財権」は、一般的な知財権の一種ないし変種としてではなく、先住権の一側面として考えることが本質的に重要であることがわかる。【註7】


■土地権と知財権の違い


 しかし、以上のような観念的議論で生命特許をはじめとする一連の知財攻勢から伝統知識や資源利用権を守ることは、現状では覚束ない。


 第一に、やはり土地と知財は性質が異なる。知財はむしろ生物と似ており、複写と増殖が可能である。土地を盗むためには実際にその土地を侵略しなければならず、それゆえ現場での抵抗も可能なのだが、知識や情報は、持ち出した種子や苗木と同様、勝手に増殖させたり改変したりすることができる。また、土地を盗まれた場合と違って「オリジナルが手元にのこる」以上、金銭的な補償制度さえ整えば問題解決だという見方を招きやすい。(この点をめぐって先住民族のなかでも意見は分かれるだろう。そこを衝かれる恐れは大きい。)


 現に、生物多様性条約でもその第二議定書として名古屋COP10での成立が期待されているABS議定書(生物資源・遺伝資源へのアクセスと利益分配に関する拘束力のある取り決め)においては、アクセス(生物資源や遺伝情報や伝統知識を取得・利用すること)自体はよしとして、その秩序や利益分配の基準を設定すること、そうした前提のなかで先住民族や地域共同体への分配を確保する、という交渉文脈がたいへんに色濃い。伝統知識や在来生物資源の利用がはたしてそれで十全に守れるのか、見直してみる必要がありはしないか。


【註3(前号註3に同じ) Mindähi C. Bastida Muñoz (2003), American sustainability issues: biodiversity, Indigenous Knowledge and intellectual property rights. Second North American Symposium on Assessing the Environmental Effects of Trade (Montreal), North American Commission for Environmental Cooperation (CEC).


【註4intellectual indigenous peoples property rights 直訳すると「知的先住民族財産権」だが、「財産をめぐる先住民族の諸権利のうち知的財産に関する部分」ということなので、便宜上「先住民族知財権」と訳すことにする。


【註5】 ABS議定書案をめぐる議論のなかで取りざたされている「特別制度」(sui generis systems)がそれにあたるという説明をきいたことはあるのだが、これは通常の知財権や自由貿易を前提とした話なので、ちょっと別次元のことではないかと思われる。


【註6】オーストラリアでは一般的な「土地所有権」と「先住民族土地権」と「先住権原」という3通りの枠組みを用意し、それなりに法制度と認定手順を整えて対処しているが、それでも紛争は発生し続けている。先住民族集団内部での利害対立や主導権争いがかえって激しくなったり、交渉権が確立したがゆえに“交渉圧力”がむしろ強まった(交渉の土俵にのって“標準的”な協定案にサインするお膳立てが揃ってしまい、拒否権が行使しにくくなった)、といった側面も否めない。「先住民族とコモンズ」第7回学習会(2006)の記録を参照: http://bit.ly/aXoN6j


【註7】 註4に示したように、intellectual indigenous …という語順であって indigenous intellectual …ではないことが、この違いを端的に反映している。

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連載第6回以前は↓こちらで公開してます。

http://idisk.me.com/hosokawakm-Public



2010年3月8日

【Indig/Env】連続セミナー《生物多様性と先住民族》


 2010年は、国連「生物多様性の国際年」です。わが先住民族の10年市民連絡会も、ここぞとばかり連続セミナーを組んでみました。すべて東京での開催ですが、ぜひお越しください。


第1回 3月18日(木)
「グローバル化による生物多様性ビジネスの動向を考える」
   細川弘明(アジア太平洋資料センター共同代表)

第2回 4月23日(金)
「先住民族の伝統知の保護について」
   松井健一(筑波大学生命環境科学研究科)

第3回 5月28日(金)
「アイヌ民族にとっての山のイウォル(伝統的生活領域)」
   貝澤耕一(NPO法人ナショナルトラスト・チコロナイ理事長)

第4回 6月11日(金)
「アイヌ民族にとっての海のウォル(伝統的生活領域)」
   野本正博(アイヌ民族博物館学芸員)

第5回 7月9日(金)
「先住民族の権利と「自然の権利」訴訟」
   籠橋隆明(弁護士、日本環境法律家連盟事務局長)

●いずれも、18:30開始、
アイヌ文化交流センター(東京駅八重洲口)




   

2010年3月2日

【Racism】 「高校無償化」から朝鮮高校を排除するのは国際法への明白な違反


 下記要請書への賛同を募っています。【★急ぎ!】
 個人でも団体でもOK
   → 3月3日 7am までに
   
   呼びかけ人の越田清和さん koshida@jca.apc.org までメール
   または 011-596-3683 へファックスお願いします。


=====転載はじめ=====

「高校無償化」制度の朝鮮学校( 高級部)への適用を求める要請書
               2010年3月3日

内閣総理大臣 鳩山由紀夫様
文部科学大臣 川端達夫様

 鳩山首相が、衆議院で審議されている高校無償化法案に関連して、在日朝鮮人の通う朝鮮学校を無償化の対象から外す方向で調整していることを明らかにし、その理由を「朝鮮学校がどういうことを教えているのか指導内容が必ずしも見えない」と述べたという記事(北海道新聞、2010年2月26日)を、私たちは読みました。

 私たち、教育問題や国際協力、差別問題などに関心をもつ市民は、この発言に驚いています。私たちは鳩山首相に対して。朝鮮学校も高校無償化の対象に含めるよう再考することを強く求めます。また川端文科相に対して、朝鮮学校を対象にしていた方針を変更することなく進めることを要請します。

 朝鮮学校だけを、無償化の対象から外すことに合理的な根拠はありません。朝鮮学校は、各都道府県が各種学校として認定し、公立・私立大学の半数以上が独自の判断で受験資格を認めてきた学校です。国立大学で初めて受験資格を認めた京都大学は、朝鮮学校の授業や教科書を検討し「高校」と差がないことを確認しています(朝日新聞、2002年9月13日)。

 この事実をみれば、朝鮮学校が「日本の高校に類する教育課程」をもつ学校を対象とするという文部省の方針に合致していることは明らかです。また「教育の機会均等」や「教育の国際化」という文部科学省の方針からしても、朝鮮学校だけを排除することはできないはずです。

 朝鮮学校を学校教育基本法第1条の学校として認可しないというこれまでの文部科学省の方針に対しては、日本政府が批准(または加入)している国際人権諸条約の委員会から、これを民族差別とする「懸念と勧告」が何度も出されています。とくに社会権規約委員会は「朝鮮学校のようなマイノリティの学校がたとえ国の教育カリキュラムを遵守している場合でも正式に認可されておらず、したがって中央政府の補助金を受け取ることも、大学入学試験の受験資格を与えることもできない事について、懸念する」(2001年8月31日)と強い勧告を出しています。

 もし、高校無償化から朝鮮学校をはずすことになれば、これまでの差別をさらに広げることにつながります。それは「友愛」を掲げる鳩山政権の本意に反することではないでしょうか。

 私たちは、朝鮮学校を高校無償化から除外しないことを求めます。


 呼びかけ人: 林 炳澤、黒田秀之、越田清和、小林久公、高橋 一、高橋芳恵、七尾寿子、花崎皋平、秀嶋ゆかり、細谷洋子、堀口 晃、三澤恵子、宮内泰介、山口たか


=====転載おわり=====


参考までに、アジア太平洋資料センター(PARC)のメーリングリストに先日、転送配信された愛媛の奥村さんからのファクトシートを以下、はりつけます。たいへん重要な論点が整理されていて、参考になります。


=====転載2はじめ=====

「朝鮮学校外し」が妥当でない数々の理由

(1) そもそも民主党はその「教育政策の集大成」としている「日本国教育基本法案」において「国民と限定するのではなく」、「何人にも『学ぶ権利』を保障」するとしている。このことは昨年の衆院選挙を前に出された民主党政策集INDEX2009にも書かれている。なお、この政策集では、国際人権A規約(社会権規約)13条についても触れられているが同条文では「締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。」と定めている。国民だけではなく外国人の子どもたちの学ぶ権利の保障を高らかに謳ったにもかかわらず、それが諸外国との関係によって左右されるというようなことは「権利」というものの性質からもあってはならないことであり、折角打ち出した理念に相反する行為である。
 
(2) 在日朝鮮人も納税の義務を負っている。高校無償化施策の実施に伴い、特定扶養親族控除の廃止が予定されているため、朝鮮学校に対し高校無償化措置(就学支援金)が適用されないとなると朝鮮学校保護者の負担は現状維持どころか、より大きくなる。これは差別を拡大することに他ならず、友愛精神に逆らうものである。

(3) 朝鮮学校高級部に対する助成金は日本の学校のそれと比べて極めて少ない。東京都の場合などは、日本の私立学校と比べてもおよそ20分の1のレベルの助成金しか出ていない。[註1]

(4) 国際人権規約の自由権(B)規約委員会が2008年の日本政府報告書審査の結果出した最終見解においては、「朝鮮学校に対する国の補助金が通常の学校に対するものよりも相当低く、民間の寄付金に強く依存しているが、私立の日本人学校やインターナショナル・スクールとは異なり、これらの学校が免税対象外又は税金控除対象外であること、また、朝鮮学校の卒業証書がそのまま大学入学資格として認められないことを懸念する。(第26条及び第27条)締約国は、国による補助金を増大し、朝鮮学校への寄付を行う者に他の学校に寄付を行う者と同じ財政的な利益を与えることによって、朝鮮学校への適切な資金援助を確保し、朝鮮学校の卒業証書を直接大学入学資格として認めるべきである(外務省ホームページより抜粋)と勧告している。同様に社会権規約(A)委員会、子どもの権利(条約)委員会、人種差別撤廃
(条約)委員会においても朝鮮学校への差別是正を求める勧告を出している。

(5) 日本弁護士連合会(日弁連)も1998年と2008年の二度に亘り、朝鮮学校などへの助成金が国からは皆無、各地方自治体からは少し出ているものの日本の公立はおろか私立学校と比べて極めて少額に過ぎないことについて「重大な人権侵害」「学習権の侵害」だとして日本政府へ是正勧告を出している。
  なお、その勧告を出す判断材料として日弁連人権擁護委員会によってまとめられた調査報告書にもあるように、助成金が少ないため教職員は薄給に甘んじざるを得ない状況にあるなど、その分の負担が教職員及び保護者に肩に重くのしかかるという状態が続いている。

(6) 産経新聞が、朝鮮民主主義人民共和国からの教育援助費があることが「発覚した」「無償化の是非について議論を呼びそうだ」という記事を去る2月11日に一面トップで載せたが、教育援助費の送金は一貫して公開されて、朝鮮学校関係者や在日朝鮮人問題に関心のある人々の間では周知の事実である。敢えて「発覚」というのは他に意図するものがあることからくる表現と思われる。なお、この教育援助費は1957年以降続いているが最近はその規模自体縮小しており、また日本の行政から一切、助成金を受けることのできない朝鮮大学校や地方にある初中級学校にそのほとんどが充当されている関係から朝鮮学校高級部がそこから受けている恩恵は極めて少ない。なお、他の外国人学校でも本国からの支援を受けているところは少なくない。

(7) この間、各地の朝鮮学校が当該地方自治体からの助成金を受けてきたが、当然ながらそれが適正に使用されてきたかをはじめ、学校の経理に関しての報告を認可・監督権を持つ都道府県等に対して行っており、これについてはこの間特段の問題が起こっているわけでもない。政治家の中にも「朝鮮学校にお金が渡れば北に送金されるかもしれない」という主張が一部あると漏れ伝わってくるが全く事実無根で的はずれの指摘である。 

(8) 文部科学大臣は専修学校設置基準において「授業時数は、学科ごとに、一年間にわたり八百時間以上とする。」(第5条)、「一の授業科目について同時に授業を行う生徒数は、四十人以下とする。ただし、特別の事由があり、かつ、教育上支障のない場合は、この限りでない。」 (第6条)とするなど外形基準を用いている。また専修学校卒業生の大学入学資格においても修業年限三年以上で卒業に必要な総授業時数が二五九〇単位時間以上、普通科目の総授業時数は四百二十単位授業時数以上などの形式的・外形的な要件をみたせば学校単位で大学入学資格が認められるとしてきた。このように何も国際評価機関や本国の認定だけに依拠しなくても一条校の高校と同等の課程を有するものと認める線引きは可能である。

※なお、朝鮮学校は上記の授業時数要件等を十分に満たすものの、専修学校を定める規定には「我が国に居住する外国人を専ら対象とするものを除く」という文言(学校教育法第124条)があるため、朝鮮学校はじめ外国人学校は専修学校となることはできない。


[註1] 助成金比較

△朝鮮学校には?
 朝鮮人学校には現在、朝鮮学校生徒1人当たりの助成金の年額は都道府県からのものと市区町村からのものを含めて約9万円 ※幼・初・中・高をまとめての全国平均

△日本の公立学校には?
1人当たりの公財政支出教育費(国と地方公共団体の負担額の合計額〔2006年度〕「データからみる日本の教育2008年」文部科学省より)
 幼 698,248円 小 888,339円 中 1,031,684円 高 1,151,788円

△日本の私立学校には?
私立学校経常費補助
(1人当たりの全国平均〔2007年度〕「東京都の私学行政2009年」東京都生活文化局私学部より)
 幼 157,909円 小 247,500円 中 277,635円 高 315,869円

※ 朝鮮学校と、日本の公立学校についての金額は、経常費補助、施設整備、保護者への補助など様々な助成制度をひっくるめて計算した金額である。
 一方、日本の私立学校についての金額はあくまで学校に対する経常費補助だけの金額である。
 日本の私立学校には経常費補助以外にも保護者の負担軽減のための補助をはじめ、多目的室、図書室の整備やバリアフリー化整備、またカウンセリング機能の強化のための保健室の整備といったことに対する補助制度などが備わっている(中には時限的なものもある)。
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Okumura Etuo
zxvt29@dokidoki.ne.jp
えひめ教科書裁判資料
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/zxvt29/sub2-sabannsiryou.htm
小説『坂の上の雲』及びNHK放映をめぐる資料
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/zxvt29/sub4/4/sakakumo.html
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=====転載2おわり=====


2010年3月1日

【Soc】 Monty Pythonも裸足で逃げだす...

 湯浅誠さんの「100日」を追った昨夜の番組、録画で見ました。縦割り官僚どうしの折衝の様子は Monty Python か Yes, Minister! のコントと見紛うばかりの滑稽さ。湯浅さんもさすがに絶句...

「館内放送を許可するかどうか」とか、「ボイラーをみる職員の手配」とかで、いちいち政務官とか大臣レベルの交渉をしないと話が進まない霞ヶ関の縦割り構造は、“唾棄すべきもの”とか“戯画的”とか言って評論家的に片づけるにはあまりに大きな社会的弱点。

@mizuhofukushima: NHKの湯浅さんの参与としてのがんばりの番組を見る。 「権力の懐に飛び込んだ湯浅誠100日間の闘い」である。 湯浅さんがいなければ公設派遣村はできなかった。自殺対策もワンストップでやるようになった。様々なことに壁はあるがこれからも突破していかなくてはと改めて思うので。

@yuasamakoto: [...] 先ほど菅さんや山井さんと一緒にNHKスペシャルを見てきました。私個人としては、いろいろ複雑な思いがありますが、さまざまな問題点の一端が示されたことは、よかったと思っています。これからが大変です。

【musica】 Claudia!

 やまねこさんが録画しておいてくれた J-MELODiamantesClaudia Oshiro のセッションを見る/聴く。ちょっと幸せ…(^_^)/☆