2013年2月11日

【Nuke】FGF+TGFシンポ

出版記念シンポジウム
アカデミズムは原発災害にどう向き合うのか

2013年2月11日(月)
於: 東大本郷キャンパス、法文2号館

主催)福島大学原発災害支援フォーラム(FGF)
  +東京大学原発災害支援フォーラム(TGF)


【★このページへの短縮リンク ☞  j.mp/FGFTFG


★会場でのメモを暫定公開します。まだ、映像記録との照合確認をしていませんので、不正確不十分な箇所が多々あると思います。また、いくつかの部分については、話し手の方に確認をお願いしているところですが、そのお返事によって、今後、訂正補足していく場合があります。あわせて、レイアウトももう少し見やすく手直しするつもりですが、今日はもう疲れたので、とりあえず生ノートに近いかたちでアップします。 2013.2.11 細川 敬白<(_ _)>

【☆☆】印のところでMacのバッテリー切れになってしまったため、そこからは筆記メモに切り替えました。したがって、そこから精度が少し粗くなってます。

これは、あくまで細川による私的メモであり、主催者による公式記録では全くありません。また、いわゆる「字起こし」(transcript)ではなく、ノートテイクです。発言をそのままに近いかたちで記録した部分と、要点をまとめて記載した部分とが混在しています。

IWJによる中継録画へのリンク →       


【更新記録】
2013.2.12 最後の質疑のところ、早川由紀夫さんの発言「匿名の意見には応えません。」を「匿名の方のご質問にはお答えしません。」と誤記しておりました。これは細川の聞き違い、ノートミスでした。訂正しました。「質問」と「意見」の違いは重要でした。不注意をお詫び致します。
2013.2.12 早川マップ八訂版へのリンクを追加。
2013.2.15 安冨歩さんのブログページ「早川由紀夫教授の発言の倫理性について」へのリンクを追加。 
2013.2.15 誤字・誤記をいくつか訂正。見出し文字サイズの修正。ところどころ空白行を入れて、内容の区切りを反映。すみません、もっと読みやすくするためにレイアウト整えたいのですが、また後日。。。
2013.2.20 押川さんの御指摘を受けて、該当箇所(討論Bの最後のほうの小山さんの発言趣旨)について、映像記録と照合のうえ、補足訂正。関連してその直前の押川さんの発言、その前の荒木田さんの発言を補足しました。
2013.2.20 末尾に、出版記念シンポであることの補足説明と本へのリンクを追加。
2013.2.22 短縮リンクを表示




9:20会場着、整理券28番。開始の10時までに、会場の1番大教室はほぼ満杯、入れない人はむかいの2番大教室(サテライト会場)へ。

10:02開始
島薗進(東京大・文学部)開会の挨拶

・まだ多くの方々が悲しみにくれているし、苦難の生活を送っている。原発をめぐっては心配な状況が続く。
・政府・東電の責任が問われるのはもちろんそうだが、アカデミズム・科学者・研究者にも大きな問題がある。それは現在進行形。
・東大の、それまであまり接触のなかった同僚たちと横の連携がとれはじめた(契機は柏キャンパスの汚染問題) ── 適切な情報を学者は提供しているのだろうか、という問いかけ。
・福島大のFGFとの連携。彼らの活動が(東大の研究者にとって)たいへんな力になった。お名前もまねしてTGFとした。
・このかん色々勉強して、もっとも印象をうけたのは高木仁三郎『市民科学者として生きる』。アカデミズムの外にいて、市民の近くにいるからこそ、本来のアカデミズムの働きができる。水俣病の原田正純先生も同じような姿勢。
・吉岡斉さんの『原子力の社会史』の新版。
・もうひとり、中川保雄さんの仕事にも感銘をうけた。放射線被曝の歴史。
・どこに過ちがあったかを明らかにしつつも、これから何ができるか、建設的に考えたい。


(1)報告1 坪倉正治(東大医科研/南相馬市立総合病院)「南相馬の医療の現状」

・血液内科が専門、白血病の抗がん剤治療、放射線医療など。事故前は内部被曝計測などの経験はなかった。
・南相馬市立総合病院、空間線量率0.3-0.4uSv/h、もちろんもっと高いところ/低いところ、いくらでも探せる。
・「緊急時避難準備区域」というレッテル。病院を必要とするような人が滞在してはいけない。多くの病院が閉まった。外来を続けたのは南相馬市民総合だけ。(20-30Kに5つの病院、4つは外来中断 → 4月から6月にかけて再開)
・最初に不足したのは酸素(ボンベ)。注文しても補充してくれない(30キロ圏に運んできてくれない)。救急車も30キロ線でスイッチしなくてはならなかった。
・自分の判断で現地に行き、病院とコンタクトし、外来と当直の手伝いから始めた。「なんとかしまくちゃ」という思いでやってきた医者たちで、なんとかまわした。
・DMAT(災害時24時間以内に現地に入る医療チーム)も継続的には活動してくれない。
・セブンイレブンには品物たくさん来てるのに、ローソンはものが無かった。流通システムの違い。
・薬の供給が中断、これは困った。線量計が現地に無い!病院に1本だけ(アロカのsurvey meter)。「安全/危険」という論争のわきで、現地はそんな状態。論争をいくらしても現場には何の助けにもならない。病院の未使用レントゲンフィルムが汚染で感光してしまうような状況。
・1本しかないアロカをできるだけ有効につかって、その情報を住民にどう返すか。小学校まわって測定、地図を作って渡す作業を続けた。除染活動もボランティアベースで始まった。最初の半年はずっとそんな感じ。試行錯誤。
・唯一残留した産婦人科医・高橋先生(昨日がお葬式だった)。賛否両論あるが、彼がいたからこそ南相馬のWBCは稼働した。彼がいなかったら、今日ご紹介するデータの半分は無かった。
・内部被ばく検査を始めた経過。現地入りするとき、家族には「なんであなたが行かないといけないの?」 ヨウ素被ばくと甲状腺の問題があったので、早く計測しないとならないというのは分かっていた。最初に来たのは鳥取県からきたWBCバス(椅子型)、運良く来たにすぎない。あちこち電話かけた、女川原発に院長・副院長が行って、WBCではかったら確かに内部被ばくしていた。あちこちの原発にWBCを貸してくれるよう交渉したが貸してくれなかった。個人的なつてで、人形峠のWBCがバスで来てくれた。2台め来たのは8月。
・現在は病院にWBCが6台ある。整ったのは2012年4月以降。
・高橋亨平先生があちこち電話して交渉して、ようやく → 2011年9月に立式のFastscanが届いた(Cs検出限界250Bq/body) → 1万人くらいを計測。福島で2011年に計測されたのは5万人くらい。ウクライナでは最初の1年に計測したのは十数万人。26年後の日本で、その半分にも及ばないという現実。
・WBC(キャンベラ、富士、安西)モノは届いたが使ったことのある人いない。自衛隊の三宿(みしゅく)病院に行って、使い方ならった。(なんでこの機械が稼働してないんだ、と疑問を感じつつ)。測定結果を本人に渡してどう説明するか。
・みんな検査したかった。予約をオープンにしたら殺到。しかし医者は4人、とても回らない。測定結果を紙で通知して、クレームの嵐! 結果の公表の是非をめぐっても、どう動いてもなぐられる。徐々に検査体制は整っていった。受診するのは一般の住民。1件1件、結果を説明していくしかない。
・月別検出率のグラフ(スライド)。徐々にセシウムが排出されていることは確認できる。追加の内部被ばくはほぼ抑えられている。初期の検査ができていないのでヨウ素被ばくについては確認できない。
・値が下がって、それでよいかというとそうでもない。2回目の検査で数値が下がらない(つまり、追加の内部被ばくをしている)人が一部いる。数値が二極化。気をつけている人とそうでない人(きのこ、イノシシも食べ続けているなど)。per bodyでいうと200Bq以下の人が多いが、一方で何万Bqも蓄えてしまっている人もいる。
・「風邪では死にません」と言うだけでは話にならない。熱がでたらどうするか、ひかないようどう予防するか、ということを具体的に続けていかないといけない。継続的検査体制の担保が必要。受診率および関心の低下。多くの人があまりにも気にしなくなりすぎている。2回目の検査をちゃんと受けてくれる人は3%くらい。「個人情報保護」の壁もあって情報の共有化ができていない。各地の病院の測定結果を総合してみないと、とてもではないが「安心です」とは言えない。
・膨大な紙ベースのデータは東大生のボランティアで入力している。予算つかないので人を雇えない。
・仮設住宅での保健問題も予断をゆるさない。感染症増えている。きのこ食べないと骨粗鬆症ふえるという側面も。認知症、脳卒中などの予防対策も。ちゃんとデータがとれていないので、手探り。
・専門家ができる領域はすごく狭い。人々が集まって少しでもよい方向に動かしていかないと。
10:53 お話終了

島薗: 南相馬市、人口7万が1万になり、いま4万に回復、しかしこれから避難を考える人もいる。小高地区は人がすめる状況ではない。原町はかろうじて復旧すすむ。


10:57-
(2)吉田邦博(南相馬・安心安全プロジェクト)「環境汚染を考える」(当初予告された題は「計測活動を通して見えてきたこと」)

・デタラメすぎる政府、住民がみずから動かないと何も動かない。
・幻想除染、作業したのに減らない、増えたケースすらある。ほとんどの住宅は1uSv超、こういうところに人を住ませるということの意味を政府は分かっているのか?
・時間がたつとセシウムが土に沈降していくので、削らないといけない土の量もふえる。置き場が足りなくなる、という悪循環。
・アスファルト、コンクリート、インターロッキングブロック、ゴム・プラスチック、樹木は除染効果ない。(コンクリートは削らないとならない。)
・屋根は材質による。お金はかかるが交換するのが一番効果あり。壁は付着すくないので、洗浄は有効。雨樋は交換しないとだめ。
・室内、しめきっている部屋でも20Bq/cm2以上の汚染。
・矛盾だらけの除染。マニュアルはあるが、守られていないし、守っていたら作業できないという面も。
・南相馬の場合は、山側が高線量と、分布がわかりやすいが、中通り(福島市・二本松・郡山ほか)はもっと複雑。
・政府設置のモニタリングポストの調査(with内部被ばく研)アルファ通信に文部省が圧力かけた件、マスコミはまったく扱わない。可搬式MPは「涙ぐましい努力」をして測定数字を下げている。しかし地元住民は「数値が低く出る測定器」を求めているわけではない。
・スライド: MPの表示数値と地域住民が実際にうける被曝線量の違い。MPの維持管理だけで年何億もかかる。
・避難区域外でも(事故前の基準だと)原発の管理区域並みの線量率。タイベック着用、場合によっては酸素ボンベを背負うような区域に相当。そこで仕事した人については多様な健康チェック(血液検査、白内障検査などなど)が必須とされる。
・現実には住民は「普通に」暮らしている。洗濯物の測定、室内干しと外干しの比較、あまり差がでない(?)。中学生のジャージや頭髪などの測定。空気中の汚染が残っている。空間線量率と空気の汚染とは必ずしも比例しない。
・「安全だ」という話のほうが住民の耳にはここちよいが、データの裏付けがないとかえって不信を招く。ICRPとECRPの評価の違いも気になる。

11:30-
コメント&質疑
(島薗、坪倉、吉田が壇上に)
・坪倉: 再浮遊・吸引があることは事実。ただ、トータルのリスクで考えると、WBCの検出限界以下のレベルでの話。外部被曝の評価(egガラスバッヂ)とWBCのデータがちゃんと接合されていない。まだ土俵にすら乗っていない。現段階では推測の領域がとても大きい。
・吉田: WBCは下限値が高いのでスクリーニングとしての役割。尿やバイオアッセイを使うべき(西尾先生の指摘)。尿に出るということはその百倍以上が体内にあるということ(児玉先生の指摘)。「安全」かもしれないがリスクはある、そういう所に子どもを置いておいてよいのか。数十年後、誰も責任をとれない。医学者も科学者ももっと市民に歩み寄ってほしい。やりなおさないとならない人生が一杯あるので、助けて欲しい。残りたいという人まで無理に引っぱり出そうとは思わない。リスクを認めて住むぶんには、それもありだと思う。分からない、不安、気にしたくない、という多数の住民は?
・坪倉: 着衣の汚染が皮膚へのβ被曝をおこすこと自体は事実。トータルのリスクを評価していくしかない。数万ベクレル台の服を着て検査に来た人も現にいる。「安全じゃないかもしれない」けれど、避難の支援も無いのが一方で現実。残留する人への支援も絶対必要。
・坪倉: 血液検査、WBCで20Bq/kgだった人には採血と心電図検査を勧めている。ただ3万Bq/bodyでもリンパ球が減少したというようなケースは今のところない。

フロアとの質疑
・女性: 事故影響のない地域での甲状腺検診との比較は?
・瀬川さん(高木学校): 子ども被災者支援法と関連した活動は?
・男性: 子どもは排泄が早いので放射能に強い、という玄侑氏の主張は?
・男性: α核種、β核種の影響をどうみてるか? 
・竹内さん: 関心(受診率)の低下によって二極化現象は悪化する。なぜ低下するのか?
・〃: 地下水の汚染は?井戸水の検査は?
・石原さん(熊本大): 線量率の地域差は内部被曝と相関しないのか? 
・坪倉: 県立医大のデータには私もアクセス権がない。嚢胞の再検査は南相馬でもしている。小さい嚢胞は出たり引っ込んだりする。前回A2でも再検で消えている、ということも珍しくはない。A2自体を前がん状態とみなす必要はない。多発性かどうかは注意が必要。結節と嚢胞は区別しないといけない。
・坪倉: 子どもが内部被曝に強い、などということはない。代謝が活発であれば放射線の影響も強い。
・坪倉: WBCの検出限界が高いという問題はある。遮蔽のより厳重なところで再検査するという体制がのぞましい。α・βの測定はもちろんしたほうがよいが、トータルで定量的に評価して、セシウムのリスクをまず考える。しかし、これはあくまで一般論でしかない(データが無い)。
・坪倉: 地域差は、検査初期にははっきりあった(SPEEDIマップとよく相関した)。現在(2012年4月以降)では相関しなくなった。
・吉田: 南相馬の場合は「安全だ」と思っている人のほうが圧倒的に多い。安全だという主旨の講演がとても多い。私なんかが話ししても「変な人」と思われちゃう。
・吉田: みんなで新天地に移動する、というのがベスト。住み続けることにかかるコストは膨大。自然減衰も3年目以降はほとんど下がらない。
・吉田: 支援法をめぐっては、東京での話と福島での話が微妙に違う。福島では、住むことを前提(除染ありき)の話が多い。考えが違うことで「党派」ができてしまって、なかなか打ち解けて話ができない。学者の意見が分かれている
・吉田: 地下水、小高では少し汚染が出ているが、飯舘、原町では出ていないので、飲用してよいと判断。ただ、α・βはデータが無い。自分で決めるしかない。「安全だといったでしょ」とあとから責めても仕方ない。
・坪倉: 対話の場がまったくない、というのは強く思う。α・βは気になっている。セシウムが下がっているというのは南相馬に限っては実感としてある。白血病の放射線治療で得た感覚とも合っている。県民健康調査については、よく分からない部分が多い。実測の継続体制もできていないし、内部被曝と外部被曝のデータ接合もぜんぜんできてない。
・吉田:「普通の生活してよい」というんだったらWBCなんていらないんじゃないか? 将来なにかおきたときに誰も責任とらないから、誰の言うことを信じてよいか住民には分からない。

12:10 昼休み

13:02 午後の部開始

討議A「住民支援と教育・研究」
司会=影浦 峡

13:08-
(1)後藤 忍(福島大・共生システム理工学類)
「福島大学での支配的アカデミズム ── 福島大学放射線副読本研究会の活動をめぐって」

・安全神話を信じ込まされていた学者・研究者としての責任を感じる。その反省から「減思力」を旗印に。
・福大研究会版副読本、学内ではいろいろ圧力あった。学外から応援賛同があったことは心強かった。合同出版からまもなく出版(2013年3月?)
・学長の安全宣言(2011年3月)、MPの徹底的防護!、IAEAとの
・0.5%のリスクは「たいしたことない」という発言も学内会議であった。しかし、化学物質管理や生物多様性保全では、もっと厳しい水準が設定されている。0.5%のリスクはきわめて重大なマネジメントの対象。
・副読本の公表に対してかかった圧力の具体例(スライド)
・「リスク、不確実性、無知」の概念をあつかうこと自体への圧力。 → 後藤は入試(出題)委員を解任された。
・「市民からの要望に寄り添うべく特段の配慮を」という要請 ── 大学は「安全だと思いたい」市民にだけ寄り添い、慎重・不安派の市民に寄り添おうとしていない。
・科学的に不確実なものにたいする謙虚さ、加害者に荷担しないような倫理的態度が必要。リスクの専門家が一般市民を切り捨てることがあってはならない。


13:25-
(2)石田葉月(福島大・共生システム理工学類)
県(とくに福島市)の状況をざっくりとお話しします。
・「安全派」と「慎重派」の考え方の違い(スライド)
・1mSv/hの遵守については「法の下の平等」を重視したい。福島だけ20mSvというダブルスタンダードはいけない。
・食品基準については、事故前と比較して千倍オーダーの汚染であるということの重大性を、市民自身が知らない場合が多い。
・本気で「市民の被曝を防ぐ」という意識が行政にない。
・ストレスについて、安全派は「気にしすぎる」とストレス、慎重派は「被曝を避けるための支援ガイダンス少ないこと」がストレス。
・リスクというのは、便益・緊急性・正義などを勘案して、当事者が判断すること。対して安全派は「ゼロリスクを求めるのは愚か」の一辺倒。
・「がんばろう福島」というが、もっと頑張るべきは国・東電・自治体。


13:35-
(3)遠藤明子(福島大・経済経営学類)
「福島県で生活する子育て世帯の現状」

・経営学が専門。川内村の「帰村」にあたっての商業環境の再構築に関わっている。今日は別の話。
・外遊び、行政・学校は規制解除したが、させたくないという保護者は多い。
・福島市(県北保健福祉事務所の北側駐車場)空間線量率は2012年7月以降「V字回復」してしまっている。原因不明。(スライド) 郡山市はなだらかに下がってきている。
・あそび支援(写真紹介) 会津で実施。また参加したいという声多い。
・県外に避難した18歳未満人口 17,895人(2012年4月、県発表)、5.24%の県外流出。その後、約1000人戻って来ている。
・市町村別の避難率(県内/県外)スライドp.17
・2011年4月19日 文科省(20mSv/yr基準にもとづき)それ以上では屋外活動を「1日1時間程度」に制限 → 5月には「1mSv/yrをめざす」と修正、実態かわらず。
・外遊びの自粛は保護者主導(スライドp.18)、体重増加の鈍化(震災前17.9%、震災後9.0%、年少・年中の伸びを比較)、一方で肥満傾向の出現率、もともと福島県はじめ東北地方は子どもの肥満は全国平均より多かった(寒い冬のせい?)、事故以前以後で有意差あるかどうか不明。
・「被曝を避けたい」「外遊びをさせたい」で保護者は揺れている。屋内遊び場、混み合っている。草の根の保養プログラムでは被曝低減の効果は無い(期間短すぎる)。


13:52-
(4)鬼頭秀一(東京大・新領域創成科学研究科)
「「現場」と向き合うことで問われるアカデミズム」

・柏の線量率についての東大ホームページでの「健康に問題はありません」という説明への抗議(低減努力すべき)からTGFの活動始まった。 → 柏市ホームページの論拠にされたり、その後、撤回されたり、周辺自治体が動揺したりといった混乱が続く。
・かたや欠如モデル(正しい認識をすれば不安はなくなる)というパターナリズムにたったリスクコミュニケーション、かたや行政不信・専門家不信(不信が払拭されないことにたいする不安)、つまり問題のフレーミングが根本的にずれている。
・柏どんぐり保育園の除染(2011年6月から相談うけ、学内で対応協議、「研究」ならよいということで認められたが、いろいろ妨害。7月から測定開始、10月に除染作業。芝生の張り替え(いつも使う筑波の芝が汚染されていたので、宮崎から調達、余分なコストかかり予算オーバー!)、紆余曲折のすえ、2012年3月に園庭の全面除染が決定、0.23uSv/hではなくALARAを追求 → 0.15uSv/hに)
・柏程度の汚染のところで、たかだか保育園1箇所の除染でも、やってみて実に大変であること、環境省ガイドラインが実態に即していないことなど分かった。
・「正当に怖がる」が「正しく恐れる」へ転換されるとき ── リスコミにおける「正しさ」の問題。宇井純「光害に第三者はいない」テーゼをあらためて銘記。半谷の講演「科学の論理と水俣病」抵抗できなかったアカデミズムの問題。
・「被害」をどうとらえるかに関わってくる。水俣病の経験、現地・現場で患者の声をききとることで、はじめて「被害」の全貌が分かってくる。エスノグラフィカルな捉え方が大切(原田正純)。政策論的視点だけではなく、地を這う視線が欠かせない。安全論争に収支していては被災者が何を必要とするかは見えてこないし、健康を保証することもできない。信頼性を回復する対応にもならない。(「危険」をとなえているだけでもダメということ)


14:10- 
パネル&質疑
影浦: アカデミズムが典型的にどうこけたか、3つ
権威主義(よく知っていることに基づいて、分かってないことについても論じた)、挙証責任を怠った。観察・計測という一から取り組むべきときに、一般論をひたすら述べた。
影浦: 原子力業界もメディアリテラシー業界も「事故と事故後の対応を反省し、真摯にとりくむ」という立場でのシンポをしてる。しかし、「うちの業界大事なので金よこせ」という事故便乗になりかねない際どさ。
石田: 小出裕章さんのように「分からない」と正直に言うことが専門家としての正しい態度。「リスクが小さいので受け入れよ」といった価値判断を学者がすることは僭越。
遠藤: 自分の専門ではないこと(外遊び支援、被曝防護など)に関わることに今でも迷いはある。一方、すべてのことに通じている専門家はいない、という腹の括りも必要。これだけの震災・事故があっても向き合わない「学者」が沢山いるという現実。
後藤: 学者がいちばん「考えを変える」ことが困難。しかし、歩み寄りの場や機会を作っていくことも必要。
鬼頭: なぜ同じ医師でも中川恵一さんと坪倉さんは違うのか。坪倉さんは一個の患者と向き合っているが、中川さんは「飯舘村全体が患者」という関わり方。マスとしてしか見ていない。
14:30-
石田:「福島人権宣言」、どこからスタートすべきかということの確認、遠慮してしまう(現実的ではない、要求しすぎ、etc)ことの不当さ。基本的人権というベンチマークがないと、何が失わされたのかをきちんと認識できない。

フロア質疑
大前さん(反核医師の会): 受診率が落ちているのは、治療・対処法とセットになっていないからでは? また、原爆症や公害での「認定制度」が医学者の姿勢を如実に反映。原爆被爆者の心筋梗塞ですら、認定に反対する医学者がたくさんいる。個人的不摂生で病気になった関係ない奴らまで救済する必要ない、という発想。
石田: のちのち健康被害が出てきたときに、挙証責任は加害者にある。「被曝のせいだ」という証明を被害者が負うのは不当。
後藤:「影響が出るか出ないか」という議論では事態は解決されない。
鬼頭: 平均余命への影響は、直感的に言えば出るだろうと個人的には思うが、しかし、「平均余命」といったような一般化・平均化した捉え方をしようとすること自体がリスク論を貧しくしてきた。公害認定制度も、ある種の平等主義を振りかざすことで被害をむしろ増やしてきた。被害地域で生じている分断や対立が被害を増幅している。
フロア女性: 事故以来、みなプチ専門家みたいになってて、こういうシンポでもフロアからそういう質問が出る。なにか統合されないもどかしさ。市民の閉塞感をどう突破できるか。
フロア女性: 福島大に残っておられるのは、どうして? 福島にいてこそできるアカデミズムという立場?
石田: 専門家の言う明らかにおかしいことに突っ込むのは専門家でなくてもできる。論理的におかしな飛躍が多々ある。
遠藤: 震災を機に、これで科研費をとろう、という人も実はたくさんいる。しかし現場への支援とセットでないと研究はできないと考えている。
後藤:「見抜くコツ」を身につければ、専門家の苦し紛れの言説を論破できる。
影浦: 専門家は理由を言う義務がある。理由をたずね続けて怒る人は、ちょっとどうか。理由を尋ねて答えてくれる専門家をどれかで見つけられるか。

15:05 休憩

15:20 再開
・Gaineさん(インディアンフルート奏者、奥さんが郡山出身)、神奈川県での保養プログラムの映像紹介&演奏
15:34-
・永幡幸司さん制作のサウンドスケープ作品、解説と上映(福島大のMPまわりの念入りな除染の様子もばっちり)


15:50- 
討議B「研究者と被災者・市民との交流」
司会=安冨 歩
・アカデミズムと「大学業界」は全然ちがうということに10年前くらいに気づいた。大学業界がアカデミズムを名乗っているのはおかしい。「大学業界人は」と正直に言わないと。
・このセッションで登壇する方は実地に測っている人が多いので、「測る」ということの意味から。

15:52-
(1)小山良太(福島大・経済経営学類)

・土壌の測定をやってます。福島大にはなぜか農学部が無い。農学部出身者は私ふくめて何人かいる。
・2011年、作付けが〝強制〟された。圃場測定して5000Bq/kg以下のところはOKという国の判断。
・採取性の食品(ヤマメ、イノシシ、山菜、野生きのこ)と自家用米の汚染土が顕著。
・汚染土にあわせてゾーニングすること以外にない。現状分析なしに対策とか復興計画とか話が進んでいる。マップがないのに行程表つくってしまう。除染もそういうふうに進んでいる。公共事業として地元住民もかり出されている。「とにかくやれ」と。2年たっても、この状況。
・何の説明も方針も示されず、かり出された人が、「汚れた長靴どうしますか」と聞いても「適当に洗いなさい」と言われて、川で洗ったら「不適切除染」と報道されちゃう。これは象徴的できごと。
・この現状(現状分析なき計画)には地元自治体も県も不満。しかし、計画がないと予算がつかない。
・100mメッシュの放射性物質分布マップ、伊達市小国地区2011年度のスライド。かなりまだらな分布のところから1箇所だけ測定して作付けの適否を決めてしまう乱暴さ。特定避難勧奨地点の指定も実に乱暴だった。
・農地における汚染対策 マップ作成、土壌成分、作物による移行係数の違い、用水のモニタリング。これらすべてを見ながら判断していかないと。ベラルーシは圃場を全部測って対策立てている。ゾーニング(作付け制限/非食用作物/食用作物)を農地1枚ずつ国が認証する。
・福島だけやったって意味ない。宮城県米でも2012年に出荷制限でた。では2011年度はどうだったのか、測ってない(全袋検査してない)から分からない。いちばん測って欲しいと思っているのは農家。
・ベラルーシの各種マップの紹介(畑1枚ごとに、土質、カリウム量、等々)、こまかい情報を把握し、生産前にリスク判定。 → 福島市で自主的に同様の測定データベース化を試みている。作付け判断もそうだが、今後の裁判の基礎データとしても重要。


(2)押川正毅(東京大・物性研究所)
「首都圏「ホットスポット」と大学と住民と」

・ベラルーシは頭脳流出もかなりあったが、日本よりも進んだ対策がなされていたというのは衝撃。
・柏に住んでいたので、自分でガイガーカウンター買って測りはじめた。のちに、大学の公式プロジェクトとして測定。
・学者・専門家がやっちゃいけないこと ── 間違った情報提供、ミスリーディングな情報提供、判断の押しつけ(パターナリズム)、これらを全部やっちゃった。
・政府は首都圏の雨にともなう汚染を予見していたらしい(官邸災害ホームページでの勧告)。4月時点で早川氏は気づいていた。5/16讀賣新聞での「チェーンメール・デマ」記事。実はこの記事(柏ホットスポット説はデマ)のほうがデマだったのだが、いまだに訂正はない。9/29に文科省マップが発表され、柏・霞ヶ浦南西の高線量が公式に認知される。
・5月時点で、市民から事実確認を求める声はあがりはじめる。小学校は「測ると数字が出てしまうので測っちゃだめ」というのが当初の対応 → 保護者の働きかけ、PTAの協力で測定、プールや側溝などの除染。市立校については市が動かないと対処できなかったが、市は冷淡だった。東大ホームページ(Q&A)のミスリーディングな記載が柏市はじめ東葛6市町を混乱させた。
・地質学的には、むしろ線量低い地域だった。「天然石」の影響云々という説明がされたのはおかしい。3/21に天然石が降ってきたのか?!
・11月になってキャンパス内の詳細測定結果公開。最頻値0.35uSv/hあたり。明確に事故の影響。柏の放射線量は平時から高かったとした当初の大学の公式説明は明確に誤り。
・夏くらいから行政の風向きが変わった。除染を進める対話集会など。2012年1月の市長訓示「事故当初の市の対策は失敗だった」と明言し、方針転換。
・空間線量が意味するもの。柏キャンパスの0.35(bkgのぞき0.3)uSv/h → セシウム量で4万ベクレル/m2相当。1万Bq以上は管理対象とする法令を想起。


16:30-
(3)早川由紀夫(群馬大)「フクシマとわたし」

・「いま勉強しないと死ぬぞ」(私の常套句)の否定可能性 1「死んでもかまわないから勉強しない」 2「死ぬとは思っていない」 3「ほんとのことを言ってもらっては困る」 郡山の人たちは2か3だろう。その分布を知りたい。
・2uSv/hが5000Bq/kgにほぼ相当。国のいう「5000Bq以上」に相当する範囲、早川マップ第1版(現在よりも中通りの2uSv線は広かった)。
・坪倉さんの午前の話を聴いて、感銘うけた。南相馬であれだけ難儀されている。それなのに、その4倍も汚染されている福島市や郡山市では、まるで何もなかったかのようにしてる。
・2011年7月11日の「オウム信者と同じことしてる」ツイートに対しての訓告事件(&報道)。誤読した人が多い。「麻原と同じ」ではなく、「洗脳されて(だまされて)サリンを作らされた可哀想なオウム信者と同じ」ということ。
・専門家はリスク評価を公開するだけでなく、みずから広く普及するべき(火山学者としての経験から)。マスコミに頼らない。
・アカデミズムが明らかにすべきこと ── 1)フクシマのどこがチェルノブイリのどこと同じ汚染土をあきらかにする(地学)、2)チェルノブイリのどこでどんな健康被害が起こったか、怒っているかを明らかにする(医学) 「20年後の現場には行けない」(影浦)というが地学者の発想としては「25年後の現場がチェルノブイリにある」。
・チェルノブイリは事故としては(汚染土)フクシマの10倍だが、被害人口を考慮し、Cs-134も計算にいれると、被害予測としてはフクシマのほうが3倍。2年たったのですでに事態は決した。ゆえに「残留者を支援してはいけない」という事故直後からの主張をとりさげる。


16:46-
(4)荒木田 岳(福島大・経済経営学類)

・何を話してよいか頭が混乱している。pptなし。配布資料のpp.27-30が資料。
・「どう向き合うのか」は未来志向、これからどうするのかという姿勢。しかし、私は人間は放射能に(現段階では)勝てないと考えている。ゆえに、勝とうという考え方はとれず、いかに被曝を避けるか。
・福島大で普通に授業をやっているのはどうかと問われると心が痛む。では、ほかにどういう道があるか、よくわからない。どうにもできない自分がいる。つねに自問している。
・大学スタッフのなかでも温度差ある。我慢できるかできないか。
・「2年目もたったのに」と「2年しかたってないのに」という両面がある。原発事故は終われない、という性質をもつ。冷温停止していないし、したとしてもそれで終わりとはならない。
・2年しかたってないのに分かることも、いくつかはある。細川たちと福島市内で、通学路の測定調査と除染活動をした。150マイクロシーベルトとかあるホットスポットの脇を子どもたちが毎日歩いていくわけです。何も知らずに、マスクもしないで。それはやっぱり放置できない。私、放射能こわいですから、除染活動なんかやりたくなかった。本心はそうなんです。だが、安全と思ってる人は除染しない、怖がっている人が除染せざるをえない、というこの矛盾。
・2年もたったのに、いろんなデータが揃ってない。小山さんのように淡々と測定しデータを集めることによってしか現状が分からない。その積み重ねで、足下からちまちまと草の根レベルで、やっていくほかなかった。初期被曝についても、もっと復元できるはずなのに、今の時点ではなされていない。福島に住んでいる人は、自分がどれだけ被曝したのか知らない。それが分からないのに「大丈夫」とかいう話は成り立たない。
「脱原発」をいう人は多いけれど、それとは別の「脱被曝」を課題としてやっていかないと。福島産農産物は、結局、よく売れている。在庫ほとんど無い。そのことの意味を皆さん考えて欲しい。
・2011年3月・4月、メーリングリストで意見交換。授業再開の大学方針に抗議、学長に申し入れを書いた。自分の名前で出す勇気が無かった。MLに流して添削してもらい公開。やはり仲間が大事。不正義とか不条理を黙認するのでなく、少しでもみんなが声をあげる、その姿を学生に見せることは大事。「敗北の歴史」かもしれない。難しいですね。
・放射線はいろんなことを促進する。活動している仲間はすごい元気。自分はもともと暗い生活なので、さらに暗くなってます。今回の本のなかでも自分の文章だけ暗い。でも、そういう人の存在も認めてもらわないと。。。(拍手)
安冨: 暗くて力強い報告、どうもありがとうございました。最後にさきほどサウンドスケープの紹介してくれた永幡さん。


17:00-
永幡幸司(福島大・共生システム理工学類)
「原発事故後の福島の音環境に何を聞くか」

・僕の話もけして明るい話ではありません。
・本のなかで書き切れなかったことだけ、お話します。
・騒音公害、測定してある線を超えたら「問題」、こえなかったら「我慢してください」という対応、放射線もそういうかたちでの対応。しかし、サウンドスケープでは異なる捉え方をする。
・「あなたは健康ですか?」 → その理由を挙げてみて。病気でないから「健康」というわけではない。一方、目が見えないからといって、一生「不健康」というわけではない。(cf. WHOの定義)
・事故影響により、福島市民の生活は震災前とは大きく変化、福島市の音環境も大きく変化した。定点観測を2011年5月から。eg「小鳥の森」(里山の環境、市が設置したバード・サンクチュアリ)、残したい日本の音環境100選(1996年環境省選定)。事故後、ひとの声が聞かれなくなった。
ホームページ(福島大/永幡研)で公開。
・カーソン『沈黙の春』では鳥たちが沈黙するが、原発事故では鳥たちが鳴き続け、沈黙したのは人間。人々の沈黙は今なお続いている。(行政上、小鳥の森は「公園」ではなく「森」扱いなので、除染されていない。)
・ふたたびWHOの健康の定義。放射線を恐れ、野外活動を控えるという福島市民の生活は「健康な生活」と言えるだろうか? 健康とはいえない音環境で暮らすことを行政が強いることは公正であろうか?
・立場により異なる答えがあるだろう。功利主義者は、リスクの小ささや被害者の少なさを論拠にするだろう。
ロールジアン(ジョン・ロールの正義論)の答え、少数の人々の幸福より多数の人々の幸福を優先することは許容できない。
・サウンドスケープ・デザインは「外からのデザイン」ではなく「内からのデザイン」。そこに暮らす人たちの視点。放射能汚染と健康についても同じ。どういう環境に住みたいかという当事者の内なる声にもとづいて判断。

17:18-
パネル&質疑
小山: 行政単位としての福島という範囲では考えていない。実際の汚染分布に即して、測定を進めて行かないと。沢などでは汚染状況がだいぶ変わったところもある。まず作付け制限してから対策を考えるということをしなかった、初手でのボタンの掛け違い。
安冨: データを出そうが矛盾を指摘しようが屁の河童、という巨大な壁を感じる。
早川: 測っても治らない、患者は治してもらいたい。測るだけで「虫歯になるぞ」というだけの学者が多い。「歯を磨け」と言う(対応策を示す)ことまでが学者の責任。
安冨: 柏市では市長に言葉が通じたというのは、考えてみればすごいこと。どうしてそれが可能だったのか?
押川: 正直、夏くらいまでは絶望的だった。秋になって風向きかわった。
【☆☆MBPのバッテリー切れ、ここから紙メモ】
柏は東京のベッドタウンとして、もともと住民の流動性が高い。毎年、転入も転出も多い。しかし(ホットスポットのことが知れ渡るにつれ)わざわざ柏に引っ越そうという人は減ってきた。人口がじわじわと減少傾向に転じて、行政の危機感に。考えてみれば、市民ができる最大の抗議は町を出て行くこと。
安冨:「話を聞く気のない人が聞くようになった」という変化が日本であまり起きていない、というのが本当に怖いこと。
早川: 福島ブランドは明らかに毀損されたが、柏(東葛)はそれほど損なわれていないのではないか?
押川: 週刊誌などでかなり大きく取り上げられたのでダメージは大きい。汚染濃度でいえば同程度の(東葛以外の)ホットスポットはそれほど騒がれていない。柏はかなり損をしたとは言える。
早川: 面積と人口の比率で言えば、柏は福島県に相当。首都圏も、汚染濃度は福島の10分の1だが人口は10倍なので、災害規模は同じ。
安冨:「日本ブランド」が日本の(唯一の?)強みだったが、それが明らかに損なわれた。本当のアカデミズム(真実に即し、発言し、行動する)として、この事態にどう応じるか。
荒木田:「日本ブランド」ということを聞くと、微妙な気持ちにさせられる。事故の被害の深刻さに向き合う、という捉え方ならよいのだが、被害範囲を小さく極限して「他のところは大丈夫」として日本ブランドを守ろうとしているように見える。福島市も「大丈夫なところ」に入れられちゃってる。それで「日本ブランド」を守る戦略にはたしてなるのか、危ういものを感じる。
永幡: 「安全」だというなら福島でオリンピックをやればいい。これほど復興に役立つことはない筈。ところが決してそういう話にはならない。それは無理だということは、皆ほんとうは分かっている。福島市は都合の良いときは「安全」とされ、都合の悪いときは外される。
早川: 今日、福島大の方々と(荒木田さん以外は)初めてお会いして、みな元気溌剌なのが意外で驚いた。で唯一、暗い荒木田さん。前にちょっと福島でお会いしたときも確かに暗かった。あのとき一緒にお会いした赤城修司さん、あれも暗い(笑)。で、明るい永幡さんに質問だが、白鳥が見えるからと阿武隈川岸に家を借りていると言っていたが、お子さんは避難させているという。仙台に引っ越してそこから(福島大に)通えばいいじゃないですか。どうして福島に留まっているの?
永幡: 実は春くらいから仙台に引っ越そうと考えている。費用の問題もあって昨年は実現できなかったが、近いうちに。
早川: 福島大の教員たちが仙台から新幹線通勤している、というようなことをもっとパブリックにしたほうが僕はいいと思う。そういうのを堂々といって世論を作っていくことがいいじゃないかと思う。

フロア男性(葛飾の田村さん): 今日お話しになったのは〝突き抜けてらっしゃる〟方々。専門を越えて活動しているとう印象。専門家としての矜持があればナガされずにやる筈。「大学業界」に何かしらのインセンティブがあるから真のアカデミズムに向かない。そのインセンティブが変わるような切っ掛けや仕掛けがあるとすれば、目を覚まして真っ当な方向に変わりうるとすれば、それは何?
荒木田: そう悲観はしていない。「やっぱ放射線はあまり浴びないほうが良いよ」という考え方に、いずれはなると思う。しかし、変わってももう遅いということもあるじゃないですか。状況が大きく変わっても「前からそうだったんだ」というようなこと言う人、いますよね。戦争が終わって社会がこんなに変わった、とか世の中の人が言ってるのを聞いて太宰治が「あほらしい感じ」と書いてるそうです(加藤典洋『敗戦後論』)。私も同じようなことを感じることあって、事故直後、福島大の同僚教員が学生を避難させるために「福島脱出バス」を何台もチャーターして走らせた。大学が何も手を打たないときに、ガソリンが無くてひどくふっかけられたりしながら、それでも走らせた。そのことを最近になって、大学当局はまるでそれが大学の手柄話のように紹介している。京都精華大の細川さんたちと一緒に(2011年5月に)除染活動を試みたときも、大学のトラックを借りて使ったら、それがちょうどTVで映ってしまって、私は大学から呼び出されました。「不安を煽るから除染なんかやめろ」って。大学のトラックを使うこともまかりならぬ!と。5月6月なんて、そんなもんでしたよ。それが、今やまったく逆ですよ。「除染すれば住めるから、除染だ」というふうに。ころころ変わるのに、ほんと阿呆らしい感じなんですよ。全然反省なく、なんかサラサラと流れていって、何の総括もなく変わってしまう、このことのほうが問題大きいんじゃないか。

(フロアから)平井さん(合同出版?): 測り続けること、世間の関心を持続させること、避難したいが出来ないような人を支援し続けること、そういった役割がアカデミズムにはある筈。アカデミズムは国を動かせないのか?
早川: 動かせません。それに、もうそんなに測らなくて良い。(汚染状況の)全貌はもう把握できた。(早川マップの)八訂版で皆さんにお伝えした。その知見のうえに対策をたてていけばよい。

フロア男性(目良さん): 早川さんの発言には疑義を感じる。安冨さんはひいきの引き倒し。福島の農家がみな「孫には食べさせられないけど作って売る」などと言っているわけではない。報道でそういう言葉が報じられたけれど、早川先生はそういう農家がいるとご自分で確かめたうえで言っておられるのか? 私の知る範囲では「そういうことは出来ない」と言っている農家のほうが多いのでは? あたかも福島の農家がみんなそう言っているかのように批判させる。あなたの言葉で胸を痛めている農家が沢山いる。
早川: 匿名の意見にはお応えしません。
目良誠二郎さん: 富岡町の目良といいます。原発事故でふるさとを奪われました。残りの生涯をかけて原発に反対していきたいと決意しておる者です。「山下は悪人だが責任はない。責任は無知無学無教養な福島県民にある」という発言も2011年5月でツイッターで(早川さんは)れました。島薗さんがそれを理解できないと言われたら、早川さんは「法的責任としてみて」と補足された。では福島県民に法的責任があるということになるのですか。
早川: その理解の通りです。私の意見に注目してくださって、あなたの意見も聞かせていただいて、ありがとうございます。

島薗: 測らないといけないことは、まだまだ沢山あると思う。医学のことでいえば、福島県民健康調査は、ともかく測らない。被害が分からないようにそうしていることは明らかだが、そのことを医学者が批判しないということは大変問題。早川さんは衝撃力のある発言をなさることで世論を喚起されるのだが、ときどき理解不能なことがあって(苦笑)、当事者に苦痛を与えることもあると私は思ってます。

安冨: 福島の農家の方は、恐ろしい目にあっている。それなのに「痛くないふり」をしている。多くの福島の方は、農民の方も一般市民の方も「痛くないふり」を強制されている、あるいは強制されてもいないのに「痛くないふり」をしておられる。そのふりをしている限りは何も起きない。子どもも「痛くないふり」をしろ、というメッセージになってしまう。福島の農民が(早川さんの言葉に)怒るということは「痛み」を感じているということ。
(フロアから野次)それは農民のせいですか?
安冨: もちろん違います。

フロア男性: アカデミズムと大学業界の乖離を何とかするという方向で、大学の存在意義を発揮して欲しい。社会システムの中での大学ということを考えて。早川さんは尊敬しているが、やっぱ言葉の暴力ってのはある。

フロア女性(松本さん): 郡山から娘を連れて避難しています。偽善的な発言はもうやめて欲しい。娘の鼻血で危機感をもち、避難した。主人の家も農家(私は農業は経験していないが)、農家の人は土地を守りたいし、売って生活しなくちゃならないという事情も大きい。どうしようもないことになっているのにも関わらず、何もしないのは何故か、ということを(福島だけじゃなく)日本のこととして皆さん受け止めて欲しい。
フロアから柏市の女性: 東葛エリアやそのほか各地の母親達がつながって「子どもを放射能から守る関東ネットワーク」というのをしてます(細川註:「放射能から子どもを守ろう!関東ネット」のことか?)。知識ゼロだったが、早川マップや東大の発信は有難かった。「住民科学者」になっていきたいと気づかされた。

早川: 測るのはもういいと言ったが、人体については私は分からないのでその限りではない。測るのが一段落といったのは土壌汚染のこと。全体像がつかめた以上、あまり重箱の隅を突くようなことをしても仕方ない。だが、小山さんがやっておられるような農地単位の計測はまだまだ価値がある。

フロア男性: 福島から石川に避難した浅田と言います。福島の方からは批判を受けるかもしれないが、ホンネとタテマエがごっちゃになっているように思う。菅総理(当時)の「ここは2〜30年住めないね」発言や鉢呂大臣の「死の町」発言に、地元は大反発したけれど、今からすればほんとだったと言うほかない。汚染の少ない「会津県」を分離させて作るとか、「戻れないところには戻れない」という覚悟は必要。目先のことで言い合っていても仕方ない。

フロア男性(川越市の佐藤さん): 早川発言、プラットフォームをつくる戦略としては分かる。だがそれはアカデミズムなのか?
荒木田さん: 私が福島で、授業再開問題をめぐって孤立無縁だったとき、唯一、私を応援してくれてたが早川先生でした。その早川先生が大学から訓告処分を受けたとき、早川さんを応援するという文章を書かなくちゃと思って、でも書けなかったことを後悔している。
永幡: おかしいと思ったときにおかしいと言い合うことが大切。それを続けていくことが大事。

押川: 一連の早川発言は、狭い意味ではアカデミズムではないが、広義ならば入るかもしれない。ただ、「オウム信者と同じ」とか「福島人に責任がある」などの発言を私は支持しない。早川さんが憎まれ役になって事態が好転するならばよいが、逆効果になっている面がある。安冨さんの言うことに一理はあるが、福島の方々が怒るのもよく分かる。もともと事態をひきおこしたのは誰かということを考えると早川さんに怒っても仕方がないのだが、怒りの対象が早川さんや、さらにより広くは被曝の危険性を指摘する人に向かってしまって、むしろ逆効果。各地で人々は分断に苦しんでいる。お金のある人だけ逃げられたとか、そんな単純な話じゃない。子どもの交友関係とか、さまざまな葛藤があり、留まるにしても避難するにしても、それぞれが葛藤のなかで選んでいる。そこにいろんな分断・軋轢が生じている。そこで早川発言というのは、少なくとも先ほど限定した範囲での早川発言というのは、分断を促進してしまったように見えるので私は支持できない。

小山: 5月の早い段階で早川先生が示されたような知見(早川マップ第1版)があって、それを踏まえて何らかの、避難、出荷制限等の政策がとられるのかと私は思っていたのだが、せっかくの知見が政策に活かされなかった。私はツイッターやらないのでよく分からないが(早川発言が)分断につながった面はあるのではないか。いま政府の対応が、「福島は安全、みんな帰りなさい」というふうになっている中で、(本来たたかうべき)相手は決まってる、事故おこした東京電力と事故後の対策については政府の不作為と(これが相手であると)決まってるんだけど、そこに脱原発運動の人なんかも撹乱要因にはなってるんじゃないかと僕は思ってるんですけど、2年たっても全然、方向性がぐちゃぐちゃしている。みなそれぞれ覚悟をもってやっていることなので、それを現地でどう統合していくかが重要。早川先生は(2011年)5月の時点で誰もやっていなかったことを出してくれて大きな意味があったが、その後、どうしてこういう風になっちゃったのかなと残念に思っている。

早川: 2011年4月で私の(twitterの)フォロワーは2,000、いまは45,000。11年、12年、そしていま13年と、私の発言を見てくれれば、その都度のオーディエンスの規模を意識しながら発言していることが分かってもらえる筈。また安冨さんが分析して論文を書いて下さい。
安冨: 早川さんは倫理的には正しかった。ただ、社会的に正しかったかどうかは分からない。

18:13 質疑・討論終了
島薗さん挨拶: 今日の議論には「痛み」がともなっていたことを感じた。午前中の坪倉さんと吉田さんがそうだったように、立場の違いというのはある。不安や悲しみを基礎にして私たちの活動はある。アカデミズムはその外にはいられない。アカデミズムはそこから力をもらう。科学的慎重さも大事、広く伝える大胆な未来構想も必要。しかしそこに温かい人間の血も流れていないといけない。「市民科学者」と言える人がどれだけいるか。この「市民科学」という言葉のなかに、きわめて大切なものがある。迷い苦しみをを反映しながら、厳密なアカデミズムはおこなわれるべきもの。

【最後に、この3月に退官される島薗先生に花束と拍手。】
島薗: まだこの世を去るわけじゃありませんので。アカデミズムに留まってやっていきたいと思います。

以上、シンポジウム終了。


追記:
このシンポジウムは合同出版から2013年2月に刊行された論集原発災害とアカデミズム ── 福島大・東大からの問いかけと行動の出版を記念して企画された。